感想:この世界の(さらにいくつもの)片隅に
まず、大学一回生の若造が、一丁前に戦争に関して話をすることを、許していただきたい。
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僕は大学生である。その前には日本人である。属性に応じて課される義務、といったものは堅苦しくて、狭苦しくて苦手だ。だけれどそれを完全に排除しきることはできない。義務が義務であるには相応の理由があるからだ。モラトリアムは及ばない。
日本人(あるいは平和を生きる人間)の義務の一つに、戦争を語る/知るというものがある。
戦争は悲しい。残酷だ。そして厄介なことに、誰にも責任を問えない。ゆえに、それを語るとき、そしてそれを知ろうとするとき、偏りのない態度が求められる。その点において、この作品は成功していると言える。
本作は、二次大戦下の広島・呉でたくましく生きようとする一人の女性を軸に、当時の人間の生きざまを描いていており、随所で高い評価を得ている。単にフィジカルな残酷さを見せるだけでは伝わらない本当の残酷さがそこでは表現されている。
感想
当時の銃後にとっての戦争とは何だったのかということを考えたときに、僕はこの映画を見て、得体の知れない怪物を想起した。暗闇に人を連れ去ってしまう怪物。誰もがその脅威に内心はおびえていながら、それを口にはできない。それを口にすることを許せば、ぎりぎりで保たれているみんなの心が壊れてしまうような空気が瀰漫している。
人は脆い。フィジカルに脆く、メンタルにも脆い。殺すのに周到な準備など必要がない。運の巡りだけである。それが戦時ならなおのことだ。
人間はいつだって寄り添って生きる。一人ひとりの脆さを、寄り添いあって、補完しながら生きる。怪物の過ぎ去るのを待つには、一人ではあまりに寒く、さみしい。
世の中はつらくて、一人だとさらにつらい。
だから、見つける必要がある。
たいそうな場所じゃなくていい。目立つ場所じゃなくていい。
ただ、見つければいい——この世界の片隅に。
そういうような優しいささやきを、この映画に聞いたような気がした。